神戸大学大学院人間発達環境学研究科の後藤聡美助教は、日本で深められてきた「当事者性」という考え方が、人?コミュニティの変容を測る分析枠組みとなることを明らかにしました。

これにより、ESD(持続可能な開発のための教育)や福祉教育?ボランティア学習、開発教育などの現場において、異なる文化?価値観をもつ人たちが棲み分けあるいは同化という形ではなく、葛藤を抱えながらも学び合う場づくりがさらに発展していくことが期待されます。

本研究で論じる非西洋的な「当事者性」という概念は、多岐にわたる人々の学びを支える生涯学習の実践の形をより多様にしていくものとして注目されています。知識や経験の有無で境界がつくられがちな現代社会において、より多様な人と社会との「関わり」に注目し、複雑な人間像を捉えようとした点に新規性があります。日本で進められた学習論研究が、今後、国際的な生涯学習の実践や理論に貢献する可能性があります。

この研究成果は、6月10日に国際学術雑誌「International Journal of Lifelong Education」に掲載されました。

ポイント

  • 日本独自の概念である「当事者性(問題?テーマとの距離?関係性)」を用いた学習理論を発表した。
  • 何気ないコミュニケーションのなかで各人の当事者性が偶然出会う「当事者性の邂逅(かいこう)」が学びの契機となることを明らかにした。
  • 当事者性学習論が、ESDや多文化共生の現場で活用される可能性があることを示した。

研究の背景

生涯学習に関わる理論は、教育現場のみならず、国際開発、経営、医療?看護など幅広い領域で活用されてきました。しかし、さまざまな問題が絡み合い、生活様式や価値観が多様化する現代社会では、より複雑かつ曖昧さをもつ人間像を前提とする学習論が求められるようになってきました。既存の理論に必ずしも当てはまらない人や場面が増えてきた、と言ってもよいかもしれません。

このような状況を受け、本研究では、既存の理論と現実のズレを解消する可能性がある「当事者性」に注目しました。これは、福祉教育やボランティア学習の現場で、さまざまな関心をもつ人たちが社会問題に近づいていくプロセスを説明するために用いられてきた語です。本研究は、個人の能力だけでなく、関係性の変容やそのプロセスをより重視することを通して、これまでの学習理論をさらに発展させる形で、人?コミュニティ?社会の多様性を尊重する新たな「当事者性学習論」を構築しようとしたものです。

研究の内容

生涯学習の理論としては、ある目的達成のために集団?組織が作られていく様子を説明する理論(「正統的周辺参加論」)や、異なる活動をしている集団同士が接触しながら新しい活動を生み出していく過程を捉えた理論(「拡張的学習論」)、人が世界を認識する枠組みの変容という観点に注目する理論(「変容的学習論」)などが代表的なものとして挙げられます。これらは多様な実践に貢献している一方で、立場の異なる人同士の学び合いや個人と社会が連動する学びを包括的に捉えるためには、それぞれの理論だけでは不十分でした。

本研究では、「当事者性」を「ある/なし」で語られるものではなく、学習者と問題?テーマとの距離を示す尺度と捉え直しました。あらゆる人は複数の当事者性をもち、常に周囲の人や環境と影響を与え合って当事者性を変容させて生きているのです。

多くの教育?学習の場面では、このような相互作用が意図的につくられていますが、その相互作用が(企画者などに意図されずに)偶然生まれたとき、学習者がそこでの学びの効果を実感しやすくなると考えられます。個々の悩みや不安などを含む多様な当事者性が偶発的に打ち明けられることで、他者の抱える問題を少しずつ自分に近い問題だと感じるようになり、その後の関心の程度や参加の度合いが増していくことになります。ここでの、思いがけない他者の当事者性との出会いのことを「当事者性の邂逅(encounter of tojisha-sei)」と呼びます。

当事者性の邂逅は、実践現場で問題の大きさに圧倒されてしまうような若者の学びや、矛盾?拮抗関係にある集団同士の学び合いを生み出す可能性があります。震災や公害問題などを乗り越えるためのコミュニティ?まちづくりなどの事例は、「当事者性学習論」を用いることで、より踏み込んだ実践分析することができると考えられます。

図1:当事者性の邂逅のイメージ

既存の学習論においても「当事者性」に近い考え方は言及されてきましたが、教育?学習の現場では活動全体の目的が重視され、個々の些細な悩み?迷い?不安などは「とるに足らないもの」と取りこぼされてしまいがちでした。当事者性学習論は、むしろ、それらの「とるに足らないもの」の変化を学びの指標としようとする大胆な試みであるといえます。一見とりとめのないようなコミュニケーションや私的だと思われる葛藤こそが、個人や集団、ひいては社会を変えていく可能性があるのです。

今後の展開

当事者性学習論は、異なる立場にいる人たちが接近するきっかけやそのプロセスを示すことができます。したがって、多様なステークホルダー(利害関係者)の協働が不可欠となるESDや多文化共生に関わる実践や活動に役立つものとなると考えられます。国境を超えた人々の移動が増え、多文化化が進む今日、ますますその重要度は高くなります。今後は、学校や地域、企業、NPO、市民団体などが協働して実施される学びの場づくりと連動した、さらなる理論の展開を目指します。

謝辞

本研究は、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業?特別研究員奨励費(JP23KJ1573)の支援を受けて実施しました。

論文情報

タイトル

Positioning and practical significance of ‘encounter of tojisha-sei’ in lifelong learning theories and research

DOI

10.1080/02601370.2025.2516778

著者

後藤聡美(神戸大学人間発達環境学研究科)

掲載誌

International Journal of Lifelong Education

SDGs

  • SDGs4