井上真理教授

かつて経済成長を牽引し、日本の基幹産業だった繊維産業。中国、アジアなどの台頭で国際競争が激化、国内市場も縮小し、今では「斜陽産業」と呼ばれる。三大紡績の一角として繊維産業を支えたユニチカ(大日本紡績が前身)が繊維事業から撤退を決め、135年続けてきた祖業に幕を下ろすという象徴的なニュースも飛び込んできた。一方で、近年は二酸化炭素の排出量の多さから、“環境汚染産業”とも言われる。40年近く被服材料学を研究し、企業とも共同研究を進めてきた人間発達環境学研究科の井上真理教授に、繊維業界の現状、それに対する日本の取り組み、私たち消費者が将来、環境問題にどう取り組めばいいのかを聞いた。

 

世界で2番目の環境汚染産業

繊維?ファッション業界は、地球環境に優しくない?

井上教授:

繊維?ファッション業界は、世界的にみると、CO2排出量が全業界の10%を占め、石油産業に次いで、世界で2番目に環境負荷の大きい産業とされています。天然繊維の綿製品は栽培時に使う農薬が農地を浸食し、労働者や生活者の健康に害を及ぼします。また、栽培のために莫大な水資源も必要とします。

合成繊維は、石油からできているので、プラスチックごみによる環境汚染やマイクロプラスチックの問題と同じ問題が起こっています。服が安価で大事にされず、流行が終わると捨てられてしまう衣料廃棄の問題です。土に埋めても土に戻らないので、世界の中には、廃棄されたまま残って深刻な問題になっている地域もあります。また、安価な服が大量に売られていることの背景として、労働環境の劣悪な職場で働かされている人たちがいることも忘れてはなりません。

ヨーロッパは、特に廃棄衣料に対し、すごく厳しい。企業に対し余った衣料の廃棄を禁止する法律ができたり、消費者がリサイクル衣料でないと買わないという動きもあったり、グローバルな課題への対処を早急に進める傾向にあります。日本も、何とかしなければならない状態になっています。

日本の繊維ビジョン15年ぶりの策定

環境問題に対し、日本はどう取り組んでいるのですか。

井上教授:

経済産業省は2022年、繊維産業の現状に対して何とかしなければいけないと、15年ぶりに「繊維ビジョン」(2030年に向けた繊維産業の展望)を策定しました。繊維産業が元気だった頃には、経産省の中に「繊維課」というのがあって、繊維ビジョンを毎年立てていました。その中に「繊維技術ロードマップ」というのがあって、国が補助金を出し、産業界の問題点を解決する研究に取り組もうという流れになっています。

具体的には、廃棄繊維を原料に新たな繊維を生み出す「繊維to繊維リサイクル技術の実用化」や、染色加工をできるだけ水を使わない「無水型染色加工技術の実用化」を進めようとしています。また、「ヒューマンインターフェースとしての繊維製品のものづくりシステムの構築」として、人が生活を営む上で、感覚的に心地よいと思うテキスタイル(繊維製品)のものづくりについて、さらに心拍数や体温が測れ、賢い繊維製品という意味を持つ「スマートテキスタイル」の社会実装を目指した技術?サービス開発も、策定された「繊維技術ロードマップ」には盛り込まれています。

研究はどんな研究で、繊維業界の環境問題にどう関わっていますか。

井上教授:

服を着た時に暖かいとか、寒いとか、触った時にチクチクするとか、滑らかだとか、ふっくらしているとか、そういった感覚的なものを、布の材料特性から導いていこうという研究をしています。人(ヒューマン)がインターフェースとなって衣服や繊維製品の心地よさという人の感性を数値化しています。繊維業界の中では、着心地の快適性を捉えるのに、布の風合い(織物や生地の手触りや外観から受ける感じ)、動きやすさや動きにくさを示す「衣服圧」、保温性など材料の温熱特性の3本柱で捉えていますが、それを研究のテーマにしています。

私は奈良女子大学の家政学部被服学科に進み、被服材料学を専攻しました。測定器で布を引っ張り、曲げ、圧縮し、表面を摩擦することによって物理特性を測定、数値化します。それに加えて、人が感じる「柔らかさ」や「滑らかさ」をアンケート形式で聞き取った「主観評価」と比較して解析します。私の大学の恩師と京都大の教授が共同研究し、1980年ごろには測定器や客観評価のノウハウを確立していて、今もそのやり方が基礎になっています。

これまで服関係だけでなく自動車のシート、インパネ(運転席や助手席前に設置されている内装品)、不織布のマスク、生理用品などのさまざまな製品に携わる企業と、材料の風合い(触り心地)評価の面で共同研究を進めてきました。2024年10月に公表した「洋服の青山」とのスーツ着用時の動きやすさを数値化した共同研究も、その一例です。

繊維業界の環境問題に話を戻します。国が今一番進めているのが、「ケミカルリサイクル」というものです。使用ずみの資源を化学的(ケミカル)に分解し、原料に変えてリサイクルする方法です。ポリエステルの服やペットボトルの材料を溶かし、それを材料に糸を引き直す技術です。作られた製品は「再生ポリエステル」として売られています。ただ、衣服の場合は、ポリエステル100%というのは本当に少なく、綿、アクリルなど別の繊維が入っているので、そのままリサイクルするのが大変です。今は全体の60%が廃棄?焼却されているため、もう少しリサイクルの割合を高められないかというのが、経産省の「繊維ビジョン」の中の「繊維to 繊維」のプロジェクトと呼ばれるものです。大量に廃棄されている衣服をリサイクルする技術を確立し、しかも、コスト面もクリアするにはどうしたらいいのかが、今の業界のテーマになっています。企業と一緒に衣服の分別において、プロジェクトに関わらせてもらっています。

 

学会でもう一つのリサイクル活動

学会でも活動し、環境問題に取り組んでいます。

井上教授:

再資源化の方法として、「反毛」と呼ばれるようなマテリアル(物質的な)リサイクルも重要です。日本繊維機械学会は、その委員会を作っています。反毛とは、何の素材が入っているのかわからないボロボロの布、廃棄生地を串刺しにしてバラバラにし、綿状に戻した繊維を再利用することです。羊毛のように高価な繊維では従来行われてきた技術なのですが、一般の布地にも応用することが求められ、このチームで研究を進めています。反毛を使用した生地は、元々の繊維よりも短くなるので、硬くなったり、灰色っぽく色合いの面白さに欠けたりしますが、リサイクルしたものならではの風合いを特長付けるにはどうしたらいいのか、研究室では生地の物理特性の測定と風合い評価を担当しています。これまでやってきた衣服の風合い、人の感覚の物理的な評価というのを、環境問題で対応しようとしている製品につなげるところが、今のメーンテーマになっています。

繊維業界のシステム化が夢の一つ

 

研究室に並ぶ測定器を説明する井上真理教授

今後、どんな研究を進めますか。

井上教授:

最近は、脳波計測を取り込んだ研究を始めています。触って気持ちが良いというのが、生理的にはどうなのかを脳波の変化から見てみようと試みています。将来は、ある素材で作った服を着た時に、人がどう感じているのかを脳波から捉えたい。触った時に、脳波のアルファー波やベータ波などがどうなっているのか。これまで研究してきた「材料特性の測定」と「主観評価」に、脳波の「生理量」を測って数値化したものをプラスして、3つの数値をつなげてみるとどうなるのか。他大学の理学療法学科の先生にノウハウを教えてもらいながら、研究を進めてみようかと思います。

これまでの研究から、この糸をこの構造にしたらこの布ができ、その布の特性からこんな風合いが出てくるということがわかっています。繊維業界はサプライチェーンが非常に長いと言われていますが、再生した糸がこんな特性を持っているから、こういう風に布を作ったら、こんな風合いの衣服ができるというような、生産の工程をもっとシステマティックにできないか、将来の夢の一つとして考えています。さらに、心地よさなど脳波から分析した数値データを組み合わせると、消費者に対しても、もっといろいろな提案ができるようになります。この分野の研究は、「役に立って、なんぼ」と思っていて、基礎研究というよりは、実際に人に使ってもらえるというところに重きを置いた研究をしたいなと思っています。世界中の人が毎日着ているものなので、皆に気持ちよく着てもらえるには、どうしたらいいかが大事です。

我慢しておしゃれするのではなく、物理的にも気持ちよく、そして見た目にも美しく。物理特性からも捉えられれば、より自分にフィットした服を選んでもらえるのでしょう。

ネットで服を買う今、必要なことは

Eコマースの時代、何が求められますか。

井上教授:

実際の店舗よりも、インターネットで買うことが多い時代になってきたら、衣服を触ることができないので、風合いを数値化で伝えるということも大事になると考えます。布の風合いを数値化する研究は1980 年には既に方法が確立していましたが、その時代よりも、むしろ今のEコマースの時代の方が、データを使えると思っています。大学の恩師から引き継いだ研究を次世代につなげて、もっと応用を広げることに可能性を感じています。Eコマースであれば、海外でも販路が拡大できるので、数値化することによって、プラスアルファでさまざまな情報を提供できれば面白いと思っています。これも私の夢の一つですが、こうして口にしていると誰かがつなげてくれるかもしれないと期待しています。

学生のSDGs活動も支援しています。

井上教授:

関西の大学の研究者有志が2022年、繊維廃材で新たな資源を創造するため、「エンウィクル」という学生中心のチームを立ち上げました。廃棄される繊維を使って、衣服や生活雑貨を作成して販売したり、廃棄繊維で作った衣服でファッションショーをしたり、繊維?生活環境?デザイン分野の各大学の先生方が一緒になって支援しています。神戸大学では、廃棄衣料にどんな物質特性があるのか、生地のデータを測定し、コラボする取り組みを重ねています。2024 年9月にもイベントを開催し、単にファッションショーをするだけではなくて、繊維廃材の問題について情報発信、アピールをしました。

大学で学んだ視点を社会で生かそう

学生には、衣服の環境問題をどう学んでほしいですか。

井上教授:

被服そのものに関わらない学生も、衣服に環境問題があることを知ってほしい。学生の多くが卒業すれば消費者に対してサービスや製品を提供する側になりますが、買う側の消費者目線を忘れないよう、環境問題を勉強してほしいと思います。自分が生活者の一人であり、廃棄による環境問題をもっと意識すれば、一つ一つの物選び自体にも違いが出てくるでしょう。一人、また一人と、身近な環境問題を考える人が増えると、社会が少しずつ変わります。

私の研究室でも、繊維に関わる仕事に就かない人の方が多いけれど、この世界で学んだ環境問題を応用し、それぞれの世界につなげてもらえたらと思います。

井上真理教授 略歴

1986年3月奈良女子大学家政学部卒業
1988年3月奈良女子大学大学院修士課程修了
1992年3月奈良女子大学大学院博士課程修了
1997年4月神戸大学発達科学部講師
2000年5月神戸大学発達科学部助教授
2007年4月神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授
2013年2月神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授(~現在)
2020年4月神戸大学附属中等教育学校校長(~2024年3月)

 

研究者

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