前田 正登 教授 

東京?国立競技場の秩父宮記念ギャラリーで今年1月から3月、やり投げの「やり」に焦点を当てた展覧会が開かれた。タイトルは「競技用具の科学―飛ぶやりの探究」。開催のきっかけは、神戸大学大学院の人間発達環境学研究科、前田正登教授(スポーツバイオメカニクス、スポーツ技術論)が120本のやりのコレクションを秩父宮記念スポーツ博物館に寄贈したことだった。今夏のパリオリンピックでも、日本選手の活躍が期待されるやり投げ。その用具を探究し続けてきた前田教授に、研究の内容や競技の魅力などを聞いた。

やりに関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

前田教授:

高校2年から、陸上競技部でやり投げをしていました。1年の時は部活動をしていなかったのですが、体力測定のボール投げで私が出した記録を知った顧問の先生からやり投げに誘われたんです。でも、初心者がやりを投げるというのは、難しいですよ。最初はやりが体に当たって投げられません。顧問の先生と試行錯誤しながら練習を重ね、高校3年の時に地元?富山県の大会で4位に入りました。

大学に入った当初は同じ投てき種目の円盤投げを主体にしていたんですが、大学対抗戦でやり投げにも出場する機会があり、審判をしていた先生から「君はやり投げが一番合っている」と言われましてね。以後、やり投げに絞り、大学4年の時に地区の大会で当時の北信越学生記録を出すことができました。競技は30代前半まで続けていました。

やりを研究対象にしたきっかけは?

前田教授:

もともとは保健体育の教員を目指していたのですが、大学3年のころからやり投げをもっと専門的に研究したいと思い始め、大学院に進学しました。そこで、アメリカの大学に留学していた先生から「Biomechanics of the javelin throw(やり投げの生体力学)」という本を紹介されたんです。バイオメカニクスの研究者が書いた本で、やりの飛行、例えば揚力や抗力などに関するさまざまなデータが掲載されていました。英語が得意ではなかったのですが、この本は面白くて引き込まれました。

この本との出合いがなければ、自分の研究はなかったと思います。自分が目指す方向と重なっていて、「これ(やり)を研究対象にしていいんだ」と思えました。修士論文を書く際には、さまざまな長さのやりを作ったりしながら、飛行についての実験を重ねました。

もう一つ、研究を続けられた重要なきっかけがありました。当時、スポーツに関する研究は生理学など人間(選手)にかかわるものが多くて、用具そのものを取り上げることはあまりなく、「なぜ人間(選手)を研究しないのか」とよく聞かれていました。しかし、神戸大学の助手に着任後、お世話になった教授が「(やりに)こだわっていい。やりといえば前田の右に出る者はいないと言われるようになれ」と背中を押してくださったんです。この言葉が今につながっていると思います。

たびたび変更されてきた規格

特に研究してきたテーマを教えてください。

前田教授:

分かりやすく言うと「よく飛ぶやりとはどういうものか」ということです。競技用やりは国際的な規格があり、長さ、重さ、材質、重心位置などが細かく定められています。そのルールの中で選手はよく飛ぶやりを求め、メーカーも工夫を重ねるのですが、飛びすぎるものが出てくると新たな規制がかけられる。その繰り返しで、規格はたびたび変更されてきました。

中でも、1986年に重心位置や直径(太さ)などに関するルールが変更された際は大きな影響があり、全体的に飛距離が下がりました。その後、海外のメーカーが柄の表面をザラザラにし、飛ぶように工夫した製品を発表しました。理論的には、ゴルフボールの表面にくぼみ(ディンプル)があるほうがよく飛ぶのと似ていて、大変な人気になりました。しかし、そのような加工も後に禁止され、柄の表面は滑らかでなければならないと定められました。

素材に関しても時代とともに変遷があります。木製のやりはもう認められておらず、規定では「金属または類似の物質」とされています。近年は、スチール、ジュラルミンといった単一素材に加え、カーボンを利用した複合素材のものが増えてきました。

カーボン製は硬くてよく飛ぶと思われがちですが、一概には言えません。とても硬くて、しならないため、選手の体に負担がかかってしまうんです。ひじや肩のけがにつながる可能性もあり、使いこなすのが難しい。一時、カーボン製が主流になるかと思われましたが、そうでもありませんでした。

人間の体との兼ね合いも考える必要があるわけですね。

前田教授:

実は、どのやりがよく飛ぶと感じるかは、選手によって違います。万人が「これがいい」と思うやりはないんです。野球のバットでも、選手によって好むものが違うのと同じです。理論上はよく飛ぶはずでも、実際には数値化できない部分があります。選手の感覚とかモチベーションとか。ですから、「よく飛ぶ」というのは、あくまでも「その人にとって」という前提がつきますね。

変遷がわかるコレクションをすべて寄贈 

今年1月から3月まで開催された展覧会「競技用具の科学―飛ぶやりの探究」(東京?国立競技場、秩父宮記念ギャラリー) 

今年、収集してきたやりを秩父宮記念スポーツ博物館に寄贈されましたね。3月まで開催されていた展覧会では、寄贈した120本のうち100本あまりが公開されたそうですが。

前田教授:

先に触れたように、やりは時代とともに変わってきました。今、木製のやりを見たいと思ってもなかなか見つけられません。一度処分してしまうと、現物に触れることが難しくなります。収集してきた100本を超えるやりは、この先ずっと現状のまま自分で維持し続けられませんから、後世にやりの歴史を伝えるために、まとめて保管してくれる施設を探していました。

会場に展示されたやりと前田教授

寄贈したのは1980年代から最近までのやりで、自作した木製のものや、研究のために裁断したものも含まれています。このコレクションを今後の研究などに生かしてもらえればうれしく思います。

展覧会の企画には私も関わりましたが、やりによって素材が違うことや、規格の変更による変遷などが分かりやすく紹介されていました。展示されていたやりは色がさまざまだったので「こんなにカラフルなんですね」という感想もありました。

世界的に活躍する日本選手もおり、競技への関心も高まっていますね。観戦を楽しむ方法はありますか?

前田教授:

一番面白いのは、選手の真後ろから見ることでしょうね。野球でいうと、キャッチャーの目線です。一流選手が投げるやりは滞空時間が長く、「いったい、いつになったら落ちてくるんだろう」という感じです。70メートルほどの記録の場合、やりは4秒くらい飛んでいます。その間に、静かだった観客席がどんどん歓声に包まれていく。実際の会場で見ると、そういう雰囲気が楽しめると思います。

前田 正登 教授 略歴

1985年3月金沢大学教育学部 卒業
1987年3月金沢大学大学院教育学研究科修士課程保健体育専攻 修了
1988年5月神戸大学教養部 助手
1992年10月神戸大学発達科学部 助手
1996年3月博士(学術)(神戸大学)
1999年10月神戸大学発達科学部 助教授
2007年4月神戸大学大学院人間発達環境学研究科 准教授
2010年3月神戸大学大学院人間発達環境学研究科 教授

研究者

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