神戸大学大学院理学研究科の末次健司教授 (兼 神戸大学高等学術研究院卓越教授) および福島大学共生システム理工学類の兼子伸吾准教授らの研究グループは、ナナフシモドキ (以下ナナフシ) の全国的な遺伝構造を調査し、その遺伝子型の分布パターンに、鳥による長距離分散の痕跡が残っていることを強く示唆する研究結果を得ました。
以前、末次教授らは、ナナフシの卵が鳥に食べられた際、一部の卵は無傷で排泄され、その後孵化することを実験的に明らかにしていました。しかしこのような現象は低頻度でしか起こらないため、自然条件下で実際に分布拡大に寄与しているのかについては未解明なままでした。このため、末次教授らは、今回新たにナナフシを日本全国から採集し、その遺伝構造を詳細に調査することで、自然界で実際に長距離分散が起きているかを検討しました。
その結果、最大で683km離れた場所で同一のミトコンドリアの配列が確認されるなど、鳥による長距離分散を仮定しなければ説明できないパターンが多数発見されました。従来、鳥と昆虫は捕食と被食の関係にあるとされ、鳥に捕食されれば昆虫は子孫もろとも生存の可能性を失うというのが一般的な考えでした。しかし、以前の実験結果と今回の成果から、移動能力が乏しいナナフシのような昆虫では、鳥に食べられることで、むしろ自身で成しえなかったほどの長距離分散が起こりうることが示されました。
この研究成果は、国際誌「Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences」にて10月11日 (日本時間) にオンライン掲載されました。
研究の背景
生物の移動分散は、生物多様性を促進する根源的な要因の一つとして知られています。移動分散には、「能動分散」と呼ばれる生物自身の分散能力に依存するものと、「受動分散」と呼ばれる他の生物や非生物的要因によって生じるものの2つがあります。例えば、自ら移動することができない植物は、果肉を報酬として提供し果実を鳥や哺乳類などの動物に食べてもらい、種子は糞と一緒に排泄されることで受動分散しています。一方で、多くの鳥や哺乳類は果実だけでなく昆虫も主要な餌としています。
このことから末次健司教授らの研究グループは、「昆虫が鳥に食べられた場合、昆虫体内の卵は消化されずに排泄されることがあるのではないか」と考え、研究を行ってきました。こうした受動分散が成り立つためには、(1) 卵が消化管を無傷で通過するほど丈夫である。(2) 糞の中の卵から孵化した幼虫は、餓死しないように自力で餌場にたどり着くことができる。(3) 卵の受精は産卵直前に行われるため、昆虫体内の卵が未受精卵であっても発生が起こる、つまり単為生殖 (メス単体で繁殖できる性質) が可能であるということが必要です。
そこで2018年に、末次教授らの研究グループは、これらの条件を全て満たすナナフシモドキ (ナナフシ) ※1 の卵を鳥 (ヒヨドリ) に食べさせました。その結果、一部の卵が無傷で排泄され、孵化することが分かりました。この研究により、「ナナフシの卵は無傷のまま鳥の消化管を通過しうる」ことが明らかになりました※2。また、ナナフシの成虫は比較的頻繁に鳥に食べられていることや、ナナフシのメス成虫のお腹の中にはすでに硬くなり成熟したと思われるような卵が沢山入っていることもわかっています。これらの情報を考慮すると、「ナナフシの成虫が鳥に食べられた場合、卵が消化されずに排泄され、それが孵化して分布拡大に寄与する」というのは十分にありえるストーリーです (図1)。
一方、多くの植物は、動物への報酬として糖分や脂肪分など栄養に富む果肉を発達させ、目立つ色やにおいで動物を引き付けていますが、ナナフシは地味な見た目をしていることからもわかる通り、積極的に鳥に食べられようとしているわけではありません。したがって、鳥に食べられることが、ナナフシの主要な分散戦略ではないといえます。鳥に食べられてしまった際に、たまたまその食べられたメス成虫のお腹の中に成熟した固い卵が入っている場合、生き残る可能性もあるということです。このような現象は低頻度でしか起こらないため、自然条件下で実際に分布拡大に寄与しているのかについては未解明なままでした。
研究の詳しい内容
そこで末次教授と兼子伸吾准教授 (福島大学) らの研究グループは、今回新たにナナフシを日本全国から採集し、その遺伝構造を詳細に調査することで、実験条件下で示された長距離分散が自然界で起こっているのかを検討しました。翅(はね)の生えていないナナフシの場合、自らの分散能力では高山や川、海などの障壁を越えた移動は非常に困難です。したがって、鳥による受動分散がなければ、高山や川、海などで隔てられた個体群間では移動がほぼないと考えられます。その場合、高山や海などの障壁で隔てられた個体群間での遺伝子交流が起こらないため、その地域特有の遺伝子型を持つはずです。
しかしながら今回の調査では東北、関東、中部、近畿、中国、四国にまたがる広範囲から採集を行ったにもかかわらず、ミトコンドリアの配列、核のマイクロサテライト領域、およびゲノムワイドな一塩基多型※3のいずれにおいても、サンプル採集地と遺伝子型との間に明瞭な関係は認められませんでした。特にミトコンドリアの配列については、最大で683km離れた場所でも同一の配列が確認されました。さらに、得られた結果をもとに「距離による隔離」の効果についても検討しました。この概念によれば、分散能力が低い生物の場合、遺伝子流動が制限され地理的距離と遺伝的距離の正の相関が生じるとされています。しかし、ミトコンドリアの配列やゲノムワイドな一塩基多型を用いた解析では、距離による隔離の効果が確認されませんでした。また核のマイクロサテライト領域を用いた解析でもごく弱い相関が検出されたにすぎませんでした (図2)。これらの結果は、翅はね のないナナフシが、海を越えて移動していることを強く示唆しています。
2018年の実験で用いられたのはヒヨドリでしたが、過去の文献では、ヒヨドリの他にも、ハシブトガラスやシジュウカラ、カケス、モズ、ノスリといった様々な鳥がナナフシを食べることが記録されています。ハシブトカラスに至っては1匹の胃の中から最大17匹ものナナフシが見つかった記録があります。ヒヨドリの一部は秋から冬にかけて南に長距離移動することや、カラスがねぐらと採餌場所の数キロメートルを定期的に移動することを考えると、ナナフシがこれらの鳥に食べられて長距離分散している可能性が高いと考えられます。さらに、雑食性の哺乳類もナナフシの分散に一役買っているかもしれません。日本では、ニホンザルやテンがナナフシを食べることが知られており、特にテンの糞からはナナフシの卵が頻繁に見つかることがわかっています。このような被食を介した受動分散が、上で述べたようなナナフシの特異な遺伝構造、つまり能動的な移動分散能力が低いにも関わらず遺伝的に極めて近縁な個体が非常に離れた場所にまで生息することに関係していると考えられます (図1)。
従来、鳥と昆虫は捕食と被食の関係にあるとされ、鳥に捕食されれば昆虫は子孫もろとも生存の可能性を失うというのが一般的な考えでした。しかし、以前の実験結果と今回の成果から、移動能力が乏しいナナフシのような昆虫では、鳥に食べられることが、むしろ自身で実現不可能なほど遠く離れた場所に自身の遺伝子を運ぶことができるイベントであることが強く示唆されました。これらの成果は、能動的な移動能力に乏しい生物の移動分散に関する理解を深める上で非常に重要な知見です。今後、単為生殖できる生物の中で同様の現象が広く見られるかを調査することで、生物の移動分散や遺伝構造に対する理解がより一層進展すると期待されます。
注釈
※1
ナナフシモドキは、日本で最も普通にみられるナナフシの仲間で、単にナナフシと呼ぶ場合も多い。
※2
詳細は、2018年5月29日付けの神戸大学のプレスリリース「ナナフシは鳥に食べられて子孫を拡散させる!? ~飛べない昆虫の新たな長距離移動法の提唱」で確認できる。
※3
今回用いたミトコンドリアDNAの配列、核のマイクロサテライト領域、そしてゲノムワイドな一塩基多型は、それぞれ異なる特徴を持つ。このため、本研究ではこれら3つの解析を統合し、結論の確度を高めている。具体的には、ミトコンドリアDNAは母系遺伝するため、ナナフシのような単為生殖種でも、繁殖様式の違いが遺伝構造に影響を及ぼすことはなく、先行研究と比較しやすいという利点がある。しかし、突然変異率は低く、最近発生した突然変異の蓄積は評価できない。次に、核のマイクロサテライトは、高い突然変異率を有し、比較的近年の突然変異の蓄積を評価できるという利点がある。さらに、ゲノムワイドな一塩基多型は、データ量が多く、個体間の遺伝的な関係について信頼性の高い推定が可能となる。ただし、これら核DNAを用いた2種類の解析では、低い確率で単為生殖の過程で生じる組み換えにより、突然変異が無くとも遺伝子型 (算出される遺伝距離) が変わり得る点に注意が必要となる。
論文情報
タイトル
“Phylogeographical evidence for historical long-distance dispersal in the flightless stick insect Ramulus mikado”
(= 飛べない昆虫ナナフシモドキにおける歴史的な長距離分散の分子系統地理学的証拠)DOI
10.1098/rspb.2023.1708
著者
Kenji Suetsugu (末次健司, 神戸大学大学院理学研究科), Tomonari Nozaki (野崎友成, 基礎生物学研究所), Shun K Hirota (廣田峻, 大阪公立大学附属植物園), Shoichi Funaki (舟木翔一, 高知大学大学院総合人間自然科学研究科), Katsura Ito (伊藤桂, 高知大学総合科学系生命環境医学部門), Yuji Isagi (井鷺裕司, 京都大学大学院農学研究科), Yoshihisa Suyama (陶山佳久, 東北大学大学院農学研究科), Shingo Kaneko (兼子伸吾, 福島大学共生システム理工学類)
掲載誌
Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences