神戸大学大学院医学研究科生理学分野の 内匠 透 教授(理化学研究所生命機能科学研究センター客員主管研究員)、Chia-wen Lin研究員らの国際共同研究グループは、これまで世界的に利用されている特発性自閉症*1のモデルマウスと、その亜種とを比較解析することで、内在性のレトロウイルス*2の活性化が自閉症の感受性を上昇させることを明らかにしました。また、この亜種のマウスは記憶能力の低下を伴うことなく、自閉症の主症状によく似た行動異常を呈したことから、既存のモデルマウスよりも正確なモデルであることを見出だしました。
今後、自閉症の病態分類が進むことで、自閉症をはじめとする神経発達症*3の新たな治療戦略の創出が期待されます。
この研究成果は、3月7日に、Molecular Psychiatryにオンラインで公開されました。
ポイント
- 広く使用されている自閉症モデルマウス、BTBR/J*4とその亜種であるBTBR/R*5をMRI*6にて解析すると、BTBR/Jは左右の脳を連絡する脳梁*7が欠損している一方で、BTBR/Rは無傷のままだった。
- ゲノム/転写解析を行ったところ、内在性レトロウイルス遺伝子がBTBRマウスで増加していた。
- 一細胞RNA解析*8により、BTBR/Rでは内在性レトロウイルスの活性化の指標となる、ストレス応答の遺伝子を含む様々な遺伝子群が発現変動していた。
- 種々の行動解析の結果、共通の祖先由来にもかかわらず、BTBR/JとBTBR/Rには空間記憶学習能力などに差があることを見出だした。
研究の背景
自閉症(自閉スペクトラム症)は患者数が急増しているにもかかわらず、未解明な部分の多い発達神経症です。自閉症者の増え続けている理由は、診断基準の変化、父親の高齢化などが挙げられています。自閉症では遺伝学的素因が強く関連するとされており、コピー数多型*9などのDNAの構造学的異常が病態に関与するものとされています。その自閉症の研究では病態を解明するためにモデル動物、特にマウスが良く用いられています。BTBR/Jという系統はその中でもよく用いられてきている自然発症の自閉症マウスモデルですが、左右の脳を連絡する脳梁が欠損していること、免疫系のシグナルが亢進していることなど、様々な異常が報告されているものの、なぜこの系統が自閉症のような行動異常を示すのか本質的にわかっていません。
本研究では、BTBR/Jとその亜種であるBTBR/Rを比較解析することで、自閉症様行動異常の発症原因を明らかにしたい、と考えました。
研究の内容
まず、MRIを用いてBTBR/JとBTBR/Rマウスの脳内各領域の構造の違いを調べました。その結果、偏桃体を含む、33領域の部位においてBTBR/JとBTBR/Rに差を見出だしました。その中でも特に顕著な差として、BTBR/Jでは脳梁が欠損しているにもかかわらず、BTBR/Rは正常なままであることを発見いたしました(図1)。
次に、アレイCGH法*10を用いてBTBR/Rのコピー数多型をB6マウスと比較しました。BTBR/Rでは内在性レトロウイルス(ERV)の割合がB6に比べて顕著に増加していることが判明しました(図2. a-c)。また、qRT-PCR法にてこれらレトロウイルスの活性化を調べたところ、BTBR/Rではその活性化が認められました(図2. d)。一方で、同じ反復配列に分類されるLINEにはB6と変化がなかったことから、BTBRにおけるレトロウイルスの活性化は特異的であることが分かりました(図2. e)。
次に、発生期のBTBRの組織(AGM領域*11と卵黄嚢; YS*12)で一細胞RNA解析を行いました。その結果、ERVの下流にあたる遺伝子群に発現変動が認められたことから、BTBRにおけるERVの活性化を支持する証拠が得られました(図3)。
最後にBTBR/JとBTBR/Rに行動レベルでの差があるかを包括的に調べました。BTBR/RマウスはBTBR/Jに比べて不安度が低く、コミュニケーションの指標となる超音波の質的な変化を示しました(図4. a-f)。また、自己毛づくろい行動が多く、ビー玉埋め試験ではより多くのビー玉を埋めることが分かりました(図4. g, h)。この2つの試験は自閉症者における反復行動異常を検出するための試験であり、BTBR/RはBTBR/Jよりも反復的行動が多い(症状の強い)、という異常を有していることが明らかとなりました。他のマウスにどれだけ近づくかを指標とした、3チャンバー社会行動試験*13でもBTBR/Rの方がよりはっきりした社会性の低下が認められました(図4. i)。記憶学習能力を調べるためにバーンズ迷路を用いた空間記憶学習試験を行ったところ、BTBR/JではB6よりも学習能力の低下が認められたものの、BTBR/RではB6と同程度の能力を示しました(図4. j)。
以上から、レトロウイルスの活性化がBTBRのコピー数多型増加を誘導し、BTBR/JとBTBR/Rのように、行動レベルの差や、脳内の構造に差をもたらすことを見出だしました(図5)。
今後の展開
今回の研究成果は、自閉症モデルマウスとして広く研究者の間で使用されているBTBR/Jに代わり、新たにBTBR/Rの有用性を示し、ERVの活性を制御することで自閉症に対する新規の治療法につながる可能性を提示できました。さらに将来的に自閉症の発症メカニズムに応じた自閉症のサブタイプ分類が必要であり、自閉症治療の新たな道を切り開く重要な第一歩となります。
用語解説
*1 特発性自閉症
自閉症は遺伝要因と環境要因による複合性疾患であると考えられる。これまでに、遺伝子変異やゲノム異常などの遺伝的要因が原因であることが知られているが、未だ多くの自閉症は原因が不明である。環境要因も含めてこれら原因の特定できない自閉症を特発性自閉症とよんでいる。
*2 内在性レトロウイルス
逆転写酵素をもつRNAウイルスの総称であり、ヒトゲノムでは8%に組み込まれているとされる (引用文献a)。
*3 神経発達症
脳の機能的な問題が関係して生じる疾患で、従来発達障害と呼ばれてきたもの。
*4 BTBR/J
マウスの類遺伝子系統の一つで、マウス系統の体系的な行動解析から、いわゆる自閉症様行動に最も近い系統と報告された (引用文献b)。いわば、特発性自閉症のマウスモデルと言える。Jackson Laboratoryで維持?管理されており、広く利用されている。
*5 BTBR/R
元々はBTBR/Jと同じ由来だが、1987年に理化学研究所バイオリソースセンターに寄託されて、それ以来、理化学研究所で維持?管理されている。
*6 MRI
核磁気共鳴画像法。磁場と電波を利用して、脳や他の臓器を非侵襲的に様々な断面の画像を取得する方法。
*7 脳梁
左右の大脳半球をつなぐ交連線維の束である。
*8 一細胞RNA-seq
次世代シーケンサーを用いることで、個々の細胞が保持しているmRNA全体を質的、量的に網羅的に調べる方法。次元圧縮法などの数理的解析と組み合わせることで、遺伝子発現の状態に基づいた細胞の分類を行うことが可能になり、細胞状態の推定が可能になる。また、遺伝子発現プロファイルの変化に基づく擬時系列解析によって、発達に伴う細胞状態の遷移の描写ができる。
*9 コピー数多型
コピー数変化(多型)とは、染色体上の1kb以上にわたるゲノムDNAが、通常2コピーのところ、1コピー以下 (欠失) 、あるいは3コピー以上 (重複) となっている現象をいう。ヒトゲノム中の12%にわたる領域に見いだされる。正常ゲノムに多型的に存在する場合や疾患ゲノムの原因として存在する場合などがある (引用文献c)。
*10 アレイCGH法
ゲノムDNAの増幅や欠損といったゲノム異常を、全染色体レベルで検出する方法。
*11 AGM
大動脈-生殖腺-中腎で、胎児造血の場。
*12 卵黄嚢(YS; yolk sac)
哺乳動物の胎児の器官で、胎児造血に関わる。
*13 3チャンバー社会行動試験
マウスにおける社会性を評価するための試験。通常、マウスは他のマウスへの興味が強いため、何もない部屋よりも他のマウスがいる部屋に滞在する時間が長い。
謝辞
本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)、日本医療研究開発機構「脳とこころの研究推進プログラム(精神?神経疾患メカニズム)」、武田科学振興財団研究助成などによる支援を受けて行いました。
論文情報
タイトル
DOI
10.1038/s41380-023-01999-z
著者
Chia-Wen Lin1,2,3, Jacob Ellegood4, Kota Tamada1,3, Ikuo Miura5, Mikiko Konda6, Kozue Takeshita6, Koji Atarashi6,7, Jason P Lerch4,8, Shigeharu Wakana5, Thomas J. McHugh2 and Toru Takumi1,3,9*
1 Laboratory for Mental Biology, RIKEN Brain Science Institute
2 Laboratory for Circuit and Behavioral Physiology, RIKEN Center for Brain Science
3 Department of Physiology and Cell Biology, Kobe University School of Medicine
4 Mouse Imaging Centre, Hospital for Sick Children
5 Technology and Development Team for Mouse Phenotype Analysis, Japan Mouse Clinic, RIKEN BioResource Research Center
6 Department of Microbiology and Immunology, Keio University School of Medicine
7 RIKEN Center for Integrative Medical Sciences
8 Wellcome Centre for Integrative Neuroimaging, University of Oxford
9 RIKEN Center for Biosystems Dynamics Research
* Corresponding author掲載誌
Molecular Psychiatry