日本大学文理学部物理学科の山本大輔准教授(研究開始当時は青山学院大学理工学部物理?数理学科助教)、神戸大学研究基盤センターの櫻井敬博助教、神戸大学大学院理学研究科物理学専攻博士前期課程(当時)の奥藤涼介さん、神戸大学分子フォトサイエンス研究センターの大久保晋准教授と太田仁教授、東京工業大学理学院物理学系の田中秀数教授、東京大学物性研究所の上床美也教授の研究グループは、三塩化セシウム銅(CsCuCl3)という鎖状の磁性体に対して10,000気圧以上の高圧力中で磁気測定実験と理論モデルを用いた解析を行い、その量子性(量子力学的な性質)の強さを圧力によって制御できることを示しました。この磁性体の中には無数の「極小な磁石」である磁性イオンが存在しますが、高圧力を印加すると“量子重なり合い”や“量子もつれ”といった量子力学的な性質を強く持つ「量子スピン」に変化することがわかりました(図1)。この成果は、古典力学的な振る舞いをする物質でも圧力によって量子性が引き出されることを示しており、すでに発見または合成されている様々な鎖状の物質を用いて難解な量子物質の特性を解明するための新たな研究手法を提示するものです。
本成果は2021年7月12日にNature Researchの発行する学術雑誌 ”Nature Communications” に掲載されました。
ポイント
- 高圧力中で三塩化セシウム銅(CsCuCl3)の磁気測定実験を実施
- 先行実験と併せて理論モデル解析を行い、磁気パラメータの圧力依存性を決定
- 磁性イオンが鎖状に並んでいる物質を平面状の有効モデルで記述し、加圧による量子性の制御の概念を構築
研究の背景
我々の身の回りにある物質の性質は、それを構成するミクロな要素の集団的な振る舞いによって決まります。例えば磁石(磁性体)では、「スピン※1」と呼ばれる“極小の磁石”が1cm3あたり1兆の百億倍くらいの個数存在しており、それらが集まって物質全体の磁気的性質を生み出しています。このスピンの性質はスピン量子数※2と呼ばれる数Sで特徴付けられ、その値は主に物質の結晶構造の単位となっている磁性イオン※3が何個の電子を持っているかによって決まります。このSは小さい順に「2分の1」、「1」、「2分の3」、「2」、「2分の5」…という2分の1刻みの値しか取れません。Sの値は物質ごとに決まっています。一般にSが大きいとスピンは単なる「微小な棒磁石」のように振る舞いますが、Sが小さいとスピンの量子力学的な性質が顕著になります。例えば最も量子性の強いSが2分の1のときはスピンが向くことのできる方向が2つ(↑と↓)だけになります。このとき不思議なことに、ミクロな量子力学の世界ではこれら2つの状態が「同時に重なり合って※4」存在することが許されます。したがって、もしこのスピン1つだけを測定すると、重ね合わせの度合いにしたがってアップ(↑)なのかダウン(↓)なのかが確率的に検出されます。
研究の経緯
磁性体には無数のスピンがあるために、実際の測定結果は離散的ではなく、平均値(期待値)が測定されます。それでもSの値が小さい物質の場合にはミクロな要素の“量子重なり合い”や“量子もつれ※5”の効果に起因して特殊な性質が測定結果にも現れることがあります。このような量子性を強く示す物質を量子物質と呼び、磁性体の場合は特に「量子磁性体」と呼びます。パソコンのデータを保存するハードディスクドライブから医療現場でのMRIまで、現代文明は磁性体を利用したデバイスに支えられていますが、量子性の強い磁性体の研究が進めば我々の社会生活をより便利で豊かにする革新的なデバイスの開発に繋がることが期待できます。
2017年7月に広島大学らの実験グループによって、三塩化セシウム銅(CsCuCl3)という磁性体に10,000気圧という高圧力を加えて磁気測定をする実験が報告されました※6。この高圧下での磁気測定結果では、磁化プラトー※7と呼ばれる量子磁性体に特有の性質が観測されており、我々はそれに大きな興味を持ちました。
研究成果
我々は広島大学らの実験報告に刺激を受け、まずは神戸大学分子フォトサイエンス研究センターにおいて同様に10,000気圧を超える圧力下での三塩化セシウム銅の磁気測定をより詳細に行いました。これはマリアナ海溝の最深部分における水圧(約1,000気圧)の10倍にも及ぶ圧力で、「ピストンシリンダー圧力セル」という装置の中に物質のサンプルを入れることで実現されます(図1)。
三塩化セシウム銅は、磁性イオンが鎖状にならんだ結晶構造を持っており、無数の鎖が三角形の格子模様を組んでいます(図2a)。個々の磁性イオンのスピン量子数Sは最も小さい「2分の1」ですが、鎖状に多数の磁性イオンが強固に結合することで“見掛け上のSの値”はもっと大きくなってしまい、量子的な性質は常圧では現れません。しかし、高圧力下での実験結果は広島大学らの報告同様に、三塩化セシウム銅が強い量子性を持つ磁性体に変化したことを示しました。
我々は圧力下での測定データに対して理論モデルを立てることで、圧力の強さを増加させるに伴ってどのように物質のパラメータが変化していくかを解析しました。その結果、加圧によって鎖状に並んだ磁性イオンの結合が弱まり、“見掛け上のSの値”が小さくなることが明らかになりました。これは常圧ではほとんど量子性が見られなかった三塩化セシウム銅が、量子力学的な振る舞いを持つ量子磁性体に変化したことを示しています。さらにこの変化を理解するために、鎖状に並んだ磁性イオンを1つの大きなスピンに見立てる「押しつぶしマッピング」という新たな見方から、三角形の格子模様の平面上にスピンが並んだ有効モデルを導入しました(図2b)。この平面モデルの見方では、加圧によってSの値が大きい値から小さい値に減少し、その結果として古典力学的な磁性体から量子力学的な磁性体への変化(クロスオーバー)が起こったことが直感的に理解できます(図2c)。これは、本来は飛び飛びの値しかとれないSの値を圧力によって(見掛け上)連続的に制御したことになります。
本研究の意義および今後の展開
平面状に磁性イオンが並んだ構造を持つ「擬2次元磁性体」は量子性が強く現れやすく、これまで大きな関心が持たれ研究されてきました。しかし、そのような磁性体は一般に合成が難しいために、綺麗な結晶構造を持つ量子的な物質は限られていました。しかし本研究によって、鎖状の磁性体を用いて圧力下で実験を行うことでも同様の物理を研究できることが示されました。鎖状の磁性体はこれまでに三塩化セシウム銅以外にも多数発見されています。本研究で示された新しい研究方法は様々な量子磁性体の問題解決に応用でき、今後の物性研究に大きな役割を果たすことが期待されます。
用語解説、引用文献
- ※1 スピン
- 粒子が回転する運動量を量子力学の概念にしたもの。例えば電子は自転しており、右回りと左回りの2種類のスピンの値を持つと解釈できる。
- ※2 スピン量子数
- スピンの取り得る離散的な値の個数を特徴づける数
- ※3 磁性イオン
- 物質中で他の原子との結合によって内部の電子数が本来よりも増えたり減ったりした原子(イオン)のうち、上記のスピンに由来して磁気的な性質を持つもの
- ※4 量子的重ね合わせ
- 量子力学の基本的な性質のひとつ。例えば電子を左右2つのスリットが空いた板を通して写真乾板に向けて多数発射する。すると右を通った状態と左を通った状態の重なり合いによって写真乾板に濃淡の縞模様が描かれる。
- ※5 量子もつれ
- 量子力学の基本的な性質のひとつ。量子的にもつれた2つの粒子は、どんなに距離が離れていても片方の測定結果がもう片方の測定結果に影響を与える。
- ※6
- A. Sera, Y. Kousaka, J. Akimitsu, M. Sera, K. Inoue, Pressure-induced quantum phase transitions in the S=1/2 triangular lattice antiferromagnet CsCuCl3, Phys. Rev. B 96, 014419 (2017).
- ※7 磁化プラトー
- 通常は磁性体に磁場を印可すると磁化(磁力の強さ)が単調に増加するが、まだ飽和量に達する前に特定の磁場強度領域で磁化の値が増加しなくなる現象
共同研究機関および助成
本研究は、神戸大学分子フォトサイエンス研究センターの共同利用研究の支援を得て実施されました。また、科学研究費助成事業基盤研究C「固体物質系と光格子量子シミュレータを繋ぐ新奇フラストレート量子物性の理論研究(研究代表者:山本 大輔18K03525)」、科学研究費助成事業基盤研究C「極低温4GPa級高圧下ESRによる直交ダイマー系の高圧量子相の研究(研究代表者:櫻井 敬博19K03746)」、科学研究費助成事業挑戦的研究(萌芽)「ダイヤモンド窒素-空孔中心を用いた超高感度超高圧THz電子スピン共鳴装置開発(研究代表者:太田 仁19K21852)」、科学研究費助成事業基盤研究A「スピン系の量子相と量子磁気励起(研究代表者:田中 秀数17H01142)」、科学研究費助成事業基盤研究A「複合環境下における圧力誘起物性現象の研究(研究代表者:上床 美也19H00648)」および青山学院大学アーリーイーグル研究支援制度(2020年度採択研究課題「原子の核スピン多自由度を用いた革新的な高温超伝導?磁性の開拓」)の支援を受けて行われました。
論文情報
- タイトル
- “Continuous control of classical-quantum crossover by external high pressure in the coupled chain compound CsCuCl3”
- DOI
- 10.1038/s41467-021-24542-6
- 著者
- 山本大輔(日本大学、青山学院大学)、櫻井敬博、奥藤涼介、大久保晋、太田仁(神戸大学)、田中秀数(東京工業大学)、上床美也(東京大学)
- 掲載誌
- Nature Communications