阪神?淡路大震災から29年となった2024年1月17日、神戸大学は、震災で亡くなった学生や職員を追悼する慰霊献花式を六甲台第1キャンパス(神戸市灘区六甲台町)、深江キャンパス(同市東灘区深江南町)で行いました。遺族や教職員、在学生らが参列し、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に手を合わせました。

六甲台第1キャンパスの慰霊碑前で行われた震災慰霊献花式(神戸市灘区、神戸大学)

神戸大学(震災当時)では学生39人(うち留学生7人)、職員2人の計41人が亡くなり、神戸商船大学(現?神戸大学海洋政策科学部)では学生5人(うち留学生1人)、研究員1人の計6人が亡くなりました。

慰霊碑に献花する参列者(六甲台第1キャンパス)

六甲台キャンパスでは、午後零時半、慰霊碑前で黙とうをささげた後、大学役員、遺族、教職員、学生、卒業生が次々に献花して祈りをささげました。

神戸市東灘区のアパートで亡くなった藤原信宏さん=当時経営学部4年=の父宏美さん(83)、母美佐子さん(79)はこの日、三重県津市から参列しました。1月17日は信宏さんが住んでいたアパート跡、神戸大学の慰霊碑、神戸?三宮の「慰霊と復興のモニュメント」を訪れています。宏美さんは「この3カ所をお参りして、初めて新しい年が明ける気がします。年を重ねて神戸に来るのは大変になりましたが、震災から30年になる来年も必ず来たいと思います」と話し、夫婦そろって慰霊碑に手を合わせました。

神戸市灘区のアパートで、同じ学科の友人とともに亡くなった上野志乃さん=当時発達科学部2年=の父、政志さん(76)=兵庫県佐用町=は、震災が発生した午前5時46分に志乃さんの住居跡を訪れた後、慰霊献花式に参列しました。学生に自身の体験や命について語る活動を続けており、「関心を持ってくれる学生がいることがありがたい。大学の慰霊式は、多くの人々とのつながりを感じられる場所です」と語りました。

この日は、在学生も慰霊碑を訪れ、震災関連の取材を続ける「神戸大学ニュースネット委員会」の学生たちの姿もありました。メンバーの一人で石川県金沢市出身の蔦(つた)旺太朗さん=法学部1年=は、能登半島地震で能登町に住む祖父(89)が被災し、金沢市の実家に避難しています。「出身地の石川県で大地震が起きたこともあり、阪神?淡路大震災がより身近に感じられるようになりました。子どもを亡くされた遺族のお話を聞くと、自責の念や、やり場のない悲しみが今も残っていると感じました。それを忘れたくないし、僕たちの世代にもしっかり伝えていきたい」と熱心に取材を続けました。

深江キャンパスの慰霊碑前で手を合わせる参列者(神戸市東灘区)

深江キャンパスでも午後零時半、練習船「海神丸」の汽笛が鳴り響く中、参列者が黙とう。教職員と学生が慰霊碑に献花し、手を合わせました。

(総務部広報課)